毒母の看取り、A子さんの場合

自他共に認める毒親育ちA子さん

A子さんのお母様、どんだけ毒親かというと、とってもわかりやすい発達障害由来の禍干渉。
A子さんの人生は、この母親の発達障害の特徴である、こだわりの強さと未知への恐怖に振り回され続けた60年間でした。
例えば、母親曰く「女の幸せは偏差値50の大学を出て、保育園の先生になること。
それが嫌なら美容師になれ」と言うのが口癖でした。

「どっから出てきたのですか、その価値観」と突っ込みたくなるのを必死に堪える毎日。 下手に反論すると、母親は否定されたと勘違いして逆上し、手がつけられなくなるからです。

優秀だったA子さん、「せめて一流大学を目指させてほしい」と懇願するも「一流大学なんてバカが行くところ」と取り合ってもらえず、泣く泣く自宅近くの大学に入り、保育園の先生になりました。

A子さんはしばらくして結婚するも、母親の奇行が原因で離婚。子ども2人を連れ実家に戻り、それ以降、ずっと母親と同居です。

同居の日々は決して楽なものではありませんでした。 母親に自分の才能も家庭も潰された憎しみと怒りで気が狂いそうになりながらも、子どもを育てるためには母親の経済力に頼らざるを得ません。悔しい思いをいながら日々過ごしていました。

そんなA子さん親子に転機が訪れたのは10年前。 母親が突然脳梗塞で倒れたのです。

幸い一命は取り留めたものの半身不随になり、在宅介護が始まりました。 身動きが取れなくなったのですから、少しは過干渉が減るかも…と期待したのも束の間、逆に毒親パワーは加速していきました。 母親は体が自由にならないイライラをA子さんにぶつけ続けてきたのです。 10分に1回は「A子!」と呼びつけては、無理難題を言いつける。

「美容院に行きたい。連れて行って」「TVで〇〇が話題になっていた。これやりたい」

その身体では無理でしょと言っても、聞く人ではありません。忘れるまで、諭し続けねばなりませんでした。 お腹が空いたというからご飯を作ると、お腹が空いていたことを忘れて、「どこに行っていたのか」と怒る。毎日が闘いでした。

母親はとにかくエネルギッシュで、こんなに大変な病気を患ったにも関わらず、攻撃の勢いは衰えることを知りません。「お前より絶対長生きしてやる」が口癖でした。

母親は元々承認欲求が強いタイプなのですが、その母親がどこかで「高齢者のステイタスは元気で長生きすることだ」とインプットされたらしく、「そうだ!長生きしよう。そうすれば世間から褒められる」と思い込み、いつの間にか「元気に長生き」が生きる目的になりました。

そして、母親は、究極の長生きは何かと考えた時、「そうだ!子どもより長く生きることだ!」と本人の中で結論が出たらしく、以来「お前より絶対長生きしてやる」が口癖になっていきました。

とはいえ母親も人間、口は達者でも体は弱り、流石に年齢とともにできないことも徐々に増えていきました。 そんな折、2回目に倒れたのをきっかけに、高齢者施設へ入所させることに成功しました。 念願の施設入居が現実になり、A子さん、今度こそ自由になれると喜んだのですが、それも束の間、母親は別バージョンでの毒親ぶりを発揮し始めます。直球の依存と甘えです。

母親は「寂しいから毎日顔を見せろ」というようになり、A子さんは逆らえず、仕事帰りになんとか時間をやりくりして毎日通いました。来る日も来る日も通い続け、施設の人からは「そんなに頑張らなくても…」と言われていました。

しかし、そんな介護もいつかは終わりがやってきます。 母親徐々に弱っていき、ついに最後の時を迎えました。

葬儀の日…

親戚や周囲の方々から、口々に「大変でしたね。」「長い間、本当にご苦労様でした。」「辛かったでしょ。」と、たくさんの哀れみと同情の言葉が寄せられました。

周りの人々はA子さんに気を遣って言っているのだとはわかるのですが、A子さん、どうしてもピンとこないというか、違和感が拭えなかったのです。

「大変でしたね」と言われるたびに「へ? 何が??」と疑問で頭がいっぱいになりました。 そして、その後「あなたに何がわかるのか」と、怒りも込み上げてきます。

A子さん、カウンセリングでその時の気持ちを教えてくれました。

***
私は、自分のできる範囲でやってたし、おむつ交換など嫌なことは施設がやってくれたし、そりゃ大変なことも多かったけど、嫌だと思ったことは一度もなかった。私は私の選択で、介護をやっていたのに、なぜ私を可哀想な人という目で見るの!?

私は、介護を通じて本当に色々な経験をさせてもらったと思う。

介護に向き合うと覚悟する前は恐怖でしかなかったけど、今はやり切った満足感でいっぱいなのよ。もちろん、もっとこうしておけばとか色々あるけど、私は全力出し切った、これでよし!って、達成感の方が優っている。

介護で得たものってなんだったんだろうと思い返してみたら、本当に色々なものがあった。

一番は、10年かけてお別れの時間をもらったことかな。 私にはこれだけの時間が必要だったのよ。

ひどい母親だったけど、やっぱりお母さんが好き。

これを素直に認めるには、本当に時間が必要だった。
そして、それを表現するのにもやっぱりこれだけの時間は要るのよ。

介護を通じて、人が老いるということを教えてもらったわ。 私は姑や祖父母も介護したけど、自分の親を看取るのとは全然違う。 母親は私がこれから行く姿。それを見せてくれたの。

母はリハビリ頑張っていた。少しでも家族に迷惑かけないようにという姿で、私への思いを表現してくれた。 発達障害の特性で自分中心でしか表現できないけど、やっぱり私のために頑張っていたんだと思う。

あんなに派手好きでお金もある人なのに、最後は「もう使わなくていい。とっておきな」と・・最後の最後は、私への気遣いの言葉しかなかったの。

認知症が進んで、ちょっと前のことも思い出せなくなって、エゴや見栄がはれなくなってからは、本当に人が変わったようにニコニコして、私に「よく来たね。ありがとう」と言ってくれた。
この言葉を聞いて、初めはこの人ほんとに狂っちゃった・・と愕然としたけど、
だんだんと・・そう言われるたびに、これが本来の母親の姿なんじゃないかと思えてきたわ。

母親は母親で、なめられちゃいけないって、ずっと去勢はって生きてきたのかもしれない。他人と違いすぎるからね。いつも威嚇して、自分を守ってきたのだと思う。

私が娘だということはわからなくなっていたけど、でも突然思い出したように、A子って呼んでくれた。
それだけでも私は十分幸せだったのよ。

こういう話をすると、毒親を介護中の人から「私はあなたのようにはなれない」と言われるの。 そうだと思うよ。 私は私で自分と向き合ってきたから、母親というものを一人の人間として見ることができるようになってきたの。 だから、こういうふうに思えるけど、そうじゃなかったら、今頃、介護に費やした10年は無駄だった、人生返せーって叫んでいたと思う。

そーいえば、葬儀の時に仕切りに私に「長い間大変だったわね。」って同情してきた人は姑にも息子にも過保護で、息子は引きこもり。パフォーマンスでいい嫁やってる人だわ。

みんなの前でこれみよがしに、姑の介護をするんだけど…
例えば、お姑さん自分で食べられるのに、魚の骨全部取ってだすの。お姑さん嫌だろうなって思う。だって、嫁に骨を抜かれてぐちゃぐちゃになった魚を食べさせられるのよ。自分で食べますって言いたいんじゃないかなって思う。

ズレてるってバレバレなのに、なんで気づかないんだろ。

「つらかったね」と言ってきたもう一人の人は、介護1年くらいした時に突然お母様亡くなった人だわ。
1年だと全然受け入れられないし、慣れない介護で大変だっていう印象しか残らないよね。
まあ、「つらかったね」という気持ちにもなるわな。

結局みんな、私を通して自分の姿を見ているだけなのに・・一緒にしないでほしいわよ。

私、ずっと親ガチャハズレだった思ってきたけど・・
当たりだったわ。

この母親で、この人生で良かったと思う。
だって今、やりたくないことやってないし、全部やりきって手放して、何のしがらみも心配もない。
今が一番幸せ。

私の母親は発達障害&自己愛性パーソナリティ障害で、とにかくズレてるし、過干渉で職業も習い事も、住むところも全部決められて嫌だったけど…でも愛情をもらってた。

看取りまでやって、最後の最後に初めて気づけたわ。

****

こう教えてくださいました。

A子さんは最後お母様との間にいい思い出が作れましたが、これは最後のご褒美というか おまけというか、フルコースの最後に出てくるデザートみたいなもので、介護をやり切った方みんながこの体験ができるかというと、そうではないと思います。

何をどうやっても救いようのない親子関係はありますし、和解だけが素晴らしいわけでもありません。家族関係に拘らず、捨てるというのが成長への道であることもあります。

ただ、どんな親子関係であれ、親に執着している状態に親子関係克服の解はないのではないでしょうか。
親に執着している状態とは、とうに親としての威力がなくなった親の顔色を伺い言いなりになるとか、この親でなかったら私はもっと幸せだったと親への恨みつらみが消えない状態です。

毒親か否か、親ガチャあたりかハズレかを決めるのは、与えられたものや環境など外部要因だと思いがちですが、結局のところそれを決めるのは、自分の人生を受け入れているかどうか…なんだと思います。

親も自分も、他人を観るように客観的に観て、こんなもんだと受け入れる。
それが、親からの自立の転換点なのだろうと思います。
毒親どうかは、自分が自分を受け入れているかどうかで変わります。

全て自分次第です。

今が素晴らしいものであれば、その今のきっかけとなった過去は輝きます。
過去が良いものかどうかは、あなたがどんな未来を生きるかで変わります。
まだ過去の評価は決まっていない。それは死ぬ間際までわからないのです。

多くの毒親育ちさんは、親ガチャハズレって言いますが、どんな親からだって、なんかの贈り物をもらっているはずです。

でもそれは自分にとって当たり前だから、こんなの嫌だ、もっともっと違うものって思うかもしれないけど、あなたはあなた以上にもあなた以下にもなれない。

持っている才能を見つけてどう活かすか、ここに未来を拓く道があります。

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