最近、マインドフルネスという瞑想法とともに
「今、ここ」という言葉がよく取り沙汰されますよね。
「今、ここ」を見つめて集中力を高めようという文脈で
使われている場面をよく目にします。
この文脈自体、私自身その通りだと思うのですが・・
その使われ方に違和感を感じることがあります。
例えば・・
①ゲーム依存の人は、「今、ここ」が大事なんだ。
だから大好きなゲームを楽しむことに集中しよう」と言い、
②そんな現象をよく目にした人は、
「いやいや、現代人は『今、ここ』に意識が偏り過ぎている。
過去も未来も大事だ」と言う。
①と②この2つは対立した考え方のようで、
実は「今、ここ」については同じ捉え方をしているんです。
一体何が同じなのか?
時間というものに対する捉え方が同じだと言うことです。
では、どう同じなのかと言うと、
「時間は連続して流れている。
過去・現在・未来は繋がっていて、
時間は過去から未来へ流れている。」
という捉え方です。
ではマインドフルネスでいう「今、ここ」はどんな捉え方をしているのか?
それは、今ここだけが現実で、あとは幻想だということです。
「え、過去は事実なのだから現実でしょ?」って思ったかもしれません。
実は脳内の記憶というものは、一つの長いストーリで保管されているわけではなく、
断片的なシーンがバラバラに収められています。
で、何かを思い出そうと意図したときに、扁桃体がそれに見合った記憶の塊たちを
見繕って思考に登らせる。
過去の事実だと思っていたものは、実際には毎回毎回作り上げられているのです。
未来も同じです。
だからこそ、都合よく書き換えたり、忘れたりできます。
そういう意味では、過去も未来も同じなんです。
手で触ることができない。
現実は、今ここにしかないんです。
目の前のSNSやゲームなど目の前の快楽にしがみついている人は、
「今、ここ」を大切にしているようでいて、実は過去や未来に囚われています。
外側からの刺激で得られる快楽は、過去や未来がもたらすものだからです。
過去の産物であるSNSを見たり、
ゲームの中で自分が作り出した少し先の未来に
一喜一憂している状態は、』過去や未来に囚われ、
今ここに意識を向けていない姿そのものです。
今とは、リアルな現実です。
ゲームをやっている最中にそれを感じている場面はほんの一握りでしょう。
例えば、ゲームでリアルな現実を感じている状態とは、
今、コントローラーに触れている自分に気づき続けることです。
例えば、シューティングゲームで何かを撃墜したときにあるがままに状態を見つめるとは、
ボタンを押したら、目の前で何かが光ったという現象に気づき続けることです。
ふと「俺何やってるんだろ」と気づく…これは「今、ここ」の状態です。
そうではなく、あと何点でクリアだーと意識が過去に獲得した点数にいった途端、
それは過去に捕らわれ、未来に意識がいった状態になります。
「今、ここ」にいるようでいて、実はリアルな現実に意識がいっていない状態です。
今がつらいのだとしたら、それは、
自分が脳内で作り出した過去と未来に囚われているからです。
ありのままを見つめれば、その瞬間に苦しみは存在しません。
全ての苦しみは、エゴが作り出します。
今というものを見つめ、自分が何に囚われているのかに気づけば、
その苦しみからは解放されます。
では、過去にも未来にも囚われない、「今、ここ」ってどんな状態なのか。
それは・・ 生まれたての赤ちゃん状態です。
自分の手を手とも認識せず、興味深くリアルに観察する・・そんな状態です。
我々は、言葉を習得してしまった時点でもう赤ちゃんには戻れないのですが、
それに近い状態を体験することはできます。
言葉の定義を外した世界に身を置き、苦悩は自分が作り出した産物だと気づけば、
そこから抜け出すことができます。
だから、リアルな現実に気づき続けましょう。
先入観や思い込み、エゴを外して、
ありのままの現実を見ましょうというのが、
「今、ここ」の考え方です。
あなたは、今見ている現実をありのままに見ていると
言い切れるでしょうか?
「赤いものを見ないで」と誰かに言われた途端、
赤いものばかり目についてしまうのが人間です。
その時点でありのままの世界を見てはいません。
そもそもリアルな現実を見ている人なんて
ほとんどいないと思いますが、
それでも観よう、近づこうとする、
そういう姿勢が心を整えます。
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